ナナシスをお父の視点から見ているという話

 

俺はお父の視点でナナシス…というかナナスタをみている。そんな俺の話を聞いてほしい。(以下ナナスタのアイドル=娘)

 

二代目支配人が好き

まず最初に二代目支配人の話をしたいと思う。

ナナシスという作品はプレイヤー名が二代目支配人に反映されるゲームである。しかしそうでありながら二代目支配人は1人のキャラクターとして中々に意思をもっておりそこそこ発言もしてゲーム内のエピソードにもそこそこの介入をしてくる彼に「プレイヤーとしての感情移入」という点に関しては中々しづらいキャラなのかもしれない。自分は彼を1人のキャラクターとして見ている。

ここで何が言いたいかというと娘だらけのナナスタにおいてこいつは唯一の男で唯一の息子なのである。

だから俺は二代目支配人がかわいくて仕方がない。

仕事を頑張ってるのを見るのはうれしい、それで娘に仕事が増えるのもうれしい。

 

お父に出来るのは見守ること

俺は娘達が可愛くて仕方がない。

Twitterをやっていて娘が誉められるのを嬉しくなってしまう。「へぇ~おめぇ中々わかってるじゃねぇか」と。

エピソードを見て、色々な子の人生を見てきた。壁にぶち当たった子もいる、そうじゃない子もいる。

ただこれは自分が観測できた範囲での話でもしかして自分の見えてないところで何かあったのかもしれない。

この先壁にぶつかったとき、立ち止まってしまう子がいるかもしれない、そんな壁ぶっ壊して進む子もいるかもしれない。もしかしたら壁なんか無いかもしれないし気づかないかもしれない。

色々な人生があるだろう。ここで何ができるか?お父に出来るのは見守ることなのである。お父が変に関わるとややこしくなってしまうことが多いから(みんなも経験あるかもしれない)

 

押した背中が自分の手から離れていくということ

エピソード5.0は最初は寂しかった。9年後。みんな成長してた。あの子やあの子はどこだ。俺の知らないナナスタになってた。知らないことが多い。

ただ、この話を読み進めていくうちにこんな感情を抱くようになった「子供の成長を見届けるって本来こんな気持ちなのかもしれない」

逆に今までがずっと一緒に歩いてきて見すぎてたのかもしれないと、

子供の成長は早い。成長したシラユキ、ターシャ、マノン、シンジュを見たとき手を繋いで一緒に歩いた子がいつのまにか前に行ってしまったかのような、幼い頃を知っているので特に四人に対してそういう感情を抱いた。

ナナシスにおける背中を押すというテーマだが、少し視点を変えて「背中を押す側」からみた場合に押した背中が自分の手から離れて前に進んでいくのはもちろん"嬉しい"もあるけどなんだか"寂しいな"となった。

色々なことを見届た支配人やコニーさん、はたまた親はこんな気持ちだったのだろうか。

 

最後に

エピソードの完結が発表された。終わりが近づいているのは理解していたがこれを聞いたときのショックはでかかった。何かしらの形でストーリーの展開自体は終わらないような感じであるがやっぱり寂しいし、不安だ。

けど俺も頑張りたい。娘達が頑張ってるように。

娘達がこれからどうなるか見守りたい。

お父にできるのはただ見守ることだから。